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「配慮」するということー最近のニュースやTwitterでの配慮-

どうも!あぽーです!!

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今日も「花のち晴れ」見終わってから書いています。(笑)

神楽木のネガティブさが際立った回だったのではないでしょうか?

 

さて、今日は「配慮する」ということについて書いていきたいと思います。

配慮をすることは当たり前に行われなければならない事なのでしょうか?

考えていきたいと思います。

 

 

配慮とは何だろう?

配慮」という言葉はよく聞きます。

相手のことを考えて行動する」といった意味だと思って私は使っていますが、辞書的にはどう描かれているのでしょうか?

 

大辞林 第三版の解説ではこのように書かれています。

はいりょ【配慮】
( 名 ) スル
心をくばること。他人や他の事のために気をつかうこと。 「相手の立場を-する」 「 -が足りない」

 

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

引用:コトバンク

相手に対して自主的に行う心配りといったところでしょうか?

 

最近のニュースから思うこと

先日、勝間和代さんが両性愛(バイセクシュアル)であることをカミングアウトしたというニュースが報じられました。

私はこのことについて良い面とそうでない面があると感じています。

もちろん勝間さん自身のカミングアウトは本人の強い思いの結果だと思うので、どうこういうつもりは全くありません。

 

良い面

良い面は、同じような立場にある人がロールモデル(人生のお手本)として参考にできることだと思います。

勝間さんのように有名かつ社会的立場のある方がカミングアウトされることは同じセクシャリティを持つ人にとって、とても心強いものであるように思います。

また、社会的な認知度が上がることも考えられるため、権利の拡大に大きく貢献することも考えられるでしょう。

 

良くないと感じる面

一方で良くないと感じる面は、「カミングアウトすることは勇気のいることだ」、「セクシャルマイノリティはカミングアウトするものだ」、「カミングアウトしたからえらい」、等という考えを持つ人が少なからず生まれてしまう可能性があるということです。

カミングアウトは必ずしなければならないことではないです。

した方が今の社会で生きやすいのであればした方がいいと思いますし、そうでないならしない方がいいのです。

また、カミングアウトが勇気の必要なことや褒められることであってはならないと私は思っています。

 

もちろんこれは社会の側が良くないのですが、今の社会ではカミングアウトすることによってバッシングや差別的な言動を受ける可能性や、今後の社会生活が困難になる可能性があります。

そのため、カミングアウトには勇気伴うのですが、これはあまりよくない風潮であると思います。

カミングアウトのニュースを取り扱うことによって、さらにその風潮が広がる可能性があると私は考えているのです。

 

誰もが自分のアイデンティティを伝えたいときに伝えたい人に伝えられる環境が必要です。

本当はカミングアウトという言葉を使わなくても良い方がいいように思います。

みんな自分のアイデンティティを相手に伝えているだけなのだから。

 

セクシャリティはみんな多少異なります。

「男性は女性を好きになり」「女性は男性を好きになる」

このようなセクシャリティを持っている人が多いだけであって、当たり前ではないのです。

セクシャルマイノリティだけに配慮するということは、区別や差別のように感じられるのであまり好きではありません。

本音を言うと「セクシャルマイノリティ」に対して将来的には配慮は不要だと思います。(配慮しないからといって差別をしてもいいということにはなりません。)

 

「私のセクシャリティは~だけど、あなたはどう?」と何の悪意や偏見を持たずに聞き合える社会が来ることを私は望んでいます。

しかし、こういう聞き方を行うことは、誰もが「配慮」すべき点なのかもしれません。

 

Twitterにおける配慮

Twitterにはいろんなことに配慮を求める人がいます。

例えば、

  • 自分の苦手なジャンルの絵が流れてくることに配慮を求める人
  • 自分の社会的立場への配慮を求めてくる人
  • フォローすることに対して配慮を求めてくる人

さまざまな配慮を求めてくる人がたくさんいます。

 

最初の方で引用しましたが、「配慮」は自主的に行うものです。

強制して他者から受け取った「配慮」は「配慮」ではないのだと私は思います。

 

正直、Twitterは「つぶやく」ことを主体にしているSNSなので法に抵触しない事ならば何をつぶやいてもいいと思っています。

もちろん、成人向けの絵などは自主的に配慮することはあると思います。

それはあくまでも自主的なものであるからこそ「配慮」であるのです。

 

先ほど例に出した人たちは、自分のルールを常識だと勘違いして押し付けているに過ぎないと感じます。

それによって引き出した「配慮」は「配慮」ではなく、たぶん「同情」や「しょうがなさ」によるものなのではないでしょうか。

その人たちに対する心配りではないのだと思います。

 

このような「配慮」を求める風潮は、表現の自由を制限するため、私は嫌いです。

 

特に自分が嫌いだという理由だけで文句を付ける人は論外です。

 

そんなこと言う前にフォローを外せばいいじゃないか~~~~~~~~~!!!!!!(笑)

勝手に流れてくるのが嫌ならTwitter向いてないと思うぞ~~~~~~~~~!!!!!!(笑)

 

と言いたいくらい論外です。

配慮という言葉を良いように解釈しすぎなのではないでしょうか?

 

まとめ

これ以上書いたらただの愚痴になりそうなのでここまでにしておきます。(笑)

 

あくまでも、配慮は「するもの」「していただくもの」であって「求めるもの」ではないと思います。

また、した方がいい配慮と、しない方がいい配慮も存在すると思うのです。

自分が配慮したいなと思えば配慮すればいいし、したくなければしなくていい、究極はこれだと思います。

 

私は最近バイト中、思いやりの心を持って汁物の具を如何に綺麗に見せるのかということをお客様に対して「配慮」しています。(笑)

それくらいの心持でいいのではないでしょうか?

 

窮屈にならない社会を望みます。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

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